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fialux:kagurazakaundergroundresistance:yellowblog:kuenishi:fakedelica:Fighters, Pacific War FAQ【質問】 坂井三郎って本当に名パイロットだったの?【回答】 坂井氏の空戦理論は,興味深い. 彼は,後下方攻撃を得意としたらしい. 感づかない内にまず,一撃を浴びせ,そこから回避しようとする敵機を徹底追尾して撃墜したらしい. また,左旋回の巴戦が得意だったらしい. ひねり込みは,半田亘飛曹長に伝授されたとの事.さすが超撃墜王は貫禄あるね. あの目つきでバタバタ落としていったのか....どこで読んだか忘れたけど,大空のサムライ冒頭,硫黄島上空でフクロにされそこなった時の敵パイロットの一人と戦後だいぶ経ってから会って,『空母に戻ってからみんなで,あのゼロは俺たちが100機掛かりでも落とせなかっただろうと言い合ったものですよ』とか言われたらしい.【余談】 坂井氏は終戦後,零戦による最後の迎撃でB32を小町定兵曹たちと協同撃墜してる. とどめは坂井機がさしたらしい. 米軍の記録にも撃墜後着水が確認されている.【余談2】「敗戦後,日本は数々の美徳を失ったが,その最たるものは,大家族制度による年長者の知識や知恵を伝授していく機能だ」とおっしゃった. さすが隻眼〔原文ママ〕だね.【余談3】 日航にジャンボが初めて就航した時の話. 坂井氏はゼロ戦で二百回以上出撃して「落ちなかった人」というわけですから,世界の飛行機乗りからは非常に尊敬されております. もちろん日本航空がボーイング747型をはじめて就航させる時も,坂井氏を招待してファーストクラスに乗せてくれたみたいです. その理由なんですが,それはもちろん坂井氏が乗った飛行機は落ちていないから,ということみたいです(笑) ある意味,縁起かつぎで喜ばれていたような部分もあるみたいですね(笑【余談4】 これは坂井氏がまだ現役でゼロ戦に乗っていたときの話なんですが,大きな飛行機(たぶんB-17?)※か何かに向けて機関砲を発射したらしいのです. もちろんそのアメリカの飛行機は,銃弾を受けた側のほうの人がやられたとのこと. ところが戦後かなりたってから聞いた話では,その坂井氏が撃った飛行機の反対側の席に,のちにアメリカ大統領となってベトナム戦争を始めてしまった,LBJことリンドン・ジョンソンが乗っていたらしいのですね. のちにアメリカの元パイロットに,「サブロー,お前が例の飛行機の反対側を撃っていたら,アメリカはベトナム戦争で失敗しないで済んだかも知れないんだぞ」といわれたそうです(笑※秦郁彦氏の『第二次大戦航空史話』(中公文庫,1996.9)によれば,ジョンソン下院議員(当時)が搭乗したのは,当時ポートモレスビーに展開していた第22爆撃グループ第19飛行中隊のB-26だそうです. 議員に最前線で何かあったら大変と,B-17とB-25を囮にして迎撃機をかく乱する作戦だったのですが,撤退経路の不徹底から,B-26隊は零戦隊と正面から遭遇してしまいました. このとき坂井機は,ジョンソン議員と共に参加した陸軍のスチブンス中佐が同乗したB-26を撃墜しましたが,本来ならこのB-26にジョンソン議員が乗る手はずになっていたのを,手違いでスチブンス中佐が先に乗り込んでしまったため,議院は別のB-26に同乗し,穴だらけにされながらポートモレスビーに帰り着いたそうです. B-17の件は,コーリン=ケリー機撃墜の件と混同しているのではないでしょうか? 【余談5】 戦後かなりたってから,戦争当時の世界のエースパイロットを集めて,ハワイでゴルフ大会があったらしいのですね. 戦争には負けたが戦闘では絶対に負けていないという確固たる自信のある坂井氏は,「よ~し,いっちょうやつらの鼻をあかしてやるか!」ということで,大会前に猛練習. 結局は「強烈な意志の力で」,2打差をつけて堂々のトップで優勝したそうです. いわく,他の世界のエースパイロットたちも,「サブローには絶対に勝てない」と脱帽したとのこと.【余談6】「坂井さん,もしゼロ戦にもう一度乗れるとした乗りますか?」という質問に対して,坂井氏は,「いや,もう充分乗ったからいいよ」とのことでした. たしかにあそこまで壮絶なことをやっているわけですから,「もういいよ」というのは分かる気がしますが.【余談7】 坂井氏は,どこかの記者会見か何かで,「天皇制は日本に必要な制度だ」としながらも「天皇に戦争責任がないとは言い切れない」みたいなことを言ってしまったらしいのですね. で,この発言からしばらくの間,家の周りに右翼団体のチンピラみたいなのがうろついていたり,無言電話や「あんた殺すぞ」みたいな脅迫状を受け取る日々が続いたとのこと. もちろん警察のほうも坂井さんの身の安全を心配して,「見張りの番をつけましょう」と言ってきたらしいのです. ところが坂井氏はこの申しでを断ったそうです.その時の坂井氏の言葉を借りるとこうなります.「おれは警察にこう言ったんだよ. な~に,こちとら大日本帝国が,国家の威信をかけて作り上げて殺人マシーンなんだ. 戦後生まれの甘っちょろい,ヘナチョコ右翼どもなんかに,このオレを殺せるわけがなんですよ. やれるもんならやって見ろってんですよ!」 もちろんそんな脅しに全く動じなかった坂井氏は,その後も落ち着いて普通に生活を続けたとのこと. もちろん家の周りをうろついていた右翼もすぐに姿を消したとか. 私は坂井氏との会見で,上のコメントが一番印象に残っております.しびれました.名人というより「名物」と言うべきかも.2008-11-10

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Fighters, Pacific War FAQ

【質問】
坂井三郎って本当に名パイロットだったの?

【回答】
坂井氏の空戦理論は,興味深い.
彼は,後下方攻撃を得意としたらしい.
感づかない内にまず,一撃を浴びせ,そこから回避しようとする敵機を徹底追尾して撃墜したらしい.
また,左旋回の巴戦が得意だったらしい.
ひねり込みは,半田亘飛曹長に伝授されたとの事.

さすが超撃墜王は貫禄あるね.
あの目つきでバタバタ落としていったのか....

どこで読んだか忘れたけど,大空のサムライ冒頭,硫黄島上空でフクロにされそこなった時の敵パイロットの一人と戦後だいぶ経ってから会って,
『空母に戻ってからみんなで,あのゼロは俺たちが100機掛かりでも落とせなかっただろうと言い合ったものですよ』
とか言われたらしい.

【余談】
坂井氏は終戦後,零戦による最後の迎撃でB32を小町定兵曹たちと協同撃墜してる.
とどめは坂井機がさしたらしい.
米軍の記録にも撃墜後着水が確認されている.

【余談2】
「敗戦後,日本は数々の美徳を失ったが,その最たるものは,大家族制度による年長者の知識や知恵を伝授していく機能だ」
とおっしゃった.
さすが隻眼〔原文ママ〕だね.

【余談3】
日航にジャンボが初めて就航した時の話.
坂井氏はゼロ戦で二百回以上出撃して「落ちなかった人」というわけですから,世界の飛行機乗りからは非常に尊敬されております.
もちろん日本航空がボーイング747型をはじめて就航させる時も,坂井氏を招待してファーストクラスに乗せてくれたみたいです.
その理由なんですが,それはもちろん坂井氏が乗った飛行機は落ちていないから,ということみたいです(笑)
ある意味,縁起かつぎで喜ばれていたような部分もあるみたいですね(笑

【余談4】
これは坂井氏がまだ現役でゼロ戦に乗っていたときの話なんですが,大きな飛行機(たぶんB-17?)※か何かに向けて機関砲を発射したらしいのです.
もちろんそのアメリカの飛行機は,銃弾を受けた側のほうの人がやられたとのこと.
ところが戦後かなりたってから聞いた話では,その坂井氏が撃った飛行機の反対側の席に,のちにアメリカ大統領となってベトナム戦争を始めてしまった,LBJことリンドン・ジョンソンが乗っていたらしいのですね.
のちにアメリカの元パイロットに,
「サブロー,お前が例の飛行機の反対側を撃っていたら,アメリカはベトナム戦争で失敗しないで済んだかも知れないんだぞ」
といわれたそうです(笑

※秦郁彦氏の『第二次大戦航空史話』(中公文庫,1996.9)によれば,ジョンソン下院議員(当時)が搭乗したのは,当時ポートモレスビーに展開していた第22爆撃グループ第19飛行中隊のB-26だそうです.
議員に最前線で何かあったら大変と,B-17とB-25を囮にして迎撃機をかく乱する作戦だったのですが,撤退経路の不徹底から,B-26隊は零戦隊と正面から遭遇してしまいました.
このとき坂井機は,ジョンソン議員と共に参加した陸軍のスチブンス中佐が同乗したB-26を撃墜しましたが,本来ならこのB-26にジョンソン議員が乗る手はずになっていたのを,手違いでスチブンス中佐が先に乗り込んでしまったため,議院は別のB-26に同乗し,穴だらけにされながらポートモレスビーに帰り着いたそうです.
B-17の件は,コーリン=ケリー機撃墜の件と混同しているのではないでしょうか?


【余談5】
戦後かなりたってから,戦争当時の世界のエースパイロットを集めて,ハワイでゴルフ大会があったらしいのですね.
戦争には負けたが戦闘では絶対に負けていないという確固たる自信のある坂井氏は,
「よ~し,いっちょうやつらの鼻をあかしてやるか!」
ということで,大会前に猛練習.
結局は「強烈な意志の力で」,2打差をつけて堂々のトップで優勝したそうです.
いわく,他の世界のエースパイロットたちも,
「サブローには絶対に勝てない」
と脱帽したとのこと.

【余談6】
「坂井さん,もしゼロ戦にもう一度乗れるとした乗りますか?」
という質問に対して,坂井氏は,
「いや,もう充分乗ったからいいよ」
とのことでした.
たしかにあそこまで壮絶なことをやっているわけですから,「もういいよ」というのは分かる気がしますが.

【余談7】
坂井氏は,どこかの記者会見か何かで,「天皇制は日本に必要な制度だ」としながらも「天皇に戦争責任がないとは言い切れない」みたいなことを言ってしまったらしいのですね.
で,この発言からしばらくの間,家の周りに右翼団体のチンピラみたいなのがうろついていたり,無言電話や「あんた殺すぞ」みたいな脅迫状を受け取る日々が続いたとのこと.
もちろん警察のほうも坂井さんの身の安全を心配して,「見張りの番をつけましょう」と言ってきたらしいのです.
ところが坂井氏はこの申しでを断ったそうです.その時の坂井氏の言葉を借りるとこうなります.
「おれは警察にこう言ったんだよ.
な~に,こちとら大日本帝国が,国家の威信をかけて作り上げて殺人マシーンなんだ.
戦後生まれの甘っちょろい,ヘナチョコ右翼どもなんかに,このオレを殺せるわけがなんですよ.
やれるもんならやって見ろってんですよ!」
もちろんそんな脅しに全く動じなかった坂井氏は,その後も落ち着いて普通に生活を続けたとのこと.
もちろん家の周りをうろついていた右翼もすぐに姿を消したとか.
私は坂井氏との会見で,上のコメントが一番印象に残っております.しびれました.

名人というより「名物」と言うべきかも.

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